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『膨張宇宙の発見』

◆『膨張宇宙の発見』の企画・編集にあたって

エドウィン・ハッブルは、20世紀前半に活躍したアメリカの天文学者で、宇宙膨張を発見した人として知られています。銀河までの距離が遠いほど、その銀河は速く遠ざかっているというハッブルの法則は、現代宇宙論の出発点であり、その比例定数がハッブル定数です。しかし、最近では、そういった天文学上の業績よりも、地球のまわりを周回する宇宙望遠鏡の名称としてより有名かもしれません。インターネットで「ハッブル」を検索すると、宇宙望遠鏡関連のページが山のようにヒットします。

宇宙とか天文学に興味を持つ人には、ハッブルは有名人と言えますが、その知名度に比して彼個人についてはほとんど知られていません。特に日本ではそうです。過去に、天文雑誌の連載記事で彼の伝記が紹介されたり、最近ですと、サイモン・シンの『宇宙創成』(新潮社、2009年)で、多少詳しくハッブルが紹介されたりしていますが、天文ファン以外にはほとんど知られていないと思われます(アメリカでは、本格的な伝記が何冊も出版されています)。編集担当の私も、ウィキペディアでの解説程度(あるいはそれ以下)の知識しかありませんでした。科学史上の偉人として認識しているだけで、かろうじて、彼がスポーツ万能のエリートで、最初は法学を学んだといったぐらいのことです。ハッブルに対するイメージが変わったのは、『望遠鏡400年物語』(地人書館、2009年)という翻訳書を担当したときのことでした。

『望遠鏡400年物語』の後半で、著者フレッド・ワトソン(アングロオーストラリア天文台の天文学者)は、ウィルソン山天文台の200インチ・フッカー望遠鏡を取り上げ、当時(1920〜30年代)の天文台内での人間関係に触れています。謎の渦巻き星雲について、ハッブルと先輩格のファン・マーネンとの間の確執で、台長ウォルター・アダムズが苦労した様子が、当時の手紙やメモ書きを引用してリアルに描いています。渦巻き星雲までの距離について、ハッブルの観測が正しくファン・マーネンが誤りであったことはその後明らかになっていくわけですが、その時点でのハッブルの言動等は、かなり問題があったらしいのです。こういったウィルソン山天文台内部で対立が明らかになったのは、1990年代初めに、当時の関係者などの手紙やメモ書きなどが公開されてからのことだそうです。

『望遠鏡400年物語』のフレッド・ワトソンによれば、現在一般的に知られているのは「ハッブルの明晰さ」だけで、「その執念深さ」ではなく、また、軌道上の「宇宙望遠鏡が彼にちなんで名づけられたことは、歴史に名を残すのに『善人』である必要はない事実をストレートに強調している」ということです。1980年代までは、ハッブルは歴史的偉人、ヒーローとして描かれるのが通例で、彼の周囲に対する不寛容な性格や人格的欠陥が強調されることはありませんでした。

今回の『膨張宇宙の発見』で、著者のマーシャ・バトゥーシャクは、ハッブルの発見は当時の他の天文学者にもそのチャンスが十分あったにもかかわらず、それができなかった経緯を、描かれる天文学者たちの性格、置かれた状況から分析しています。バトゥーシャクによれば、当時世界最大の望遠鏡を使える有利な立場にあったからこそのハッブルの業績なのですが、それは運だけが彼に味方したわけではなく、自分を売り込むためにはどんな苦労も厭わない彼の執着心こそがそれを可能にしたというわけです。

『膨張宇宙の発見』の原書、The Day We Found the Universe (Pantheon Books, 2009)の要約が、アメリカの天文雑誌の記事 The Cosmologist Left Behinde (Sky & Telescope, Vol.118, No.3, p.30) として紹介されたのは2009年で、特に、ローウェル天文台のヴェスト・スライファーの仕事を中心に解説されていました。銀河の赤方偏移、それがドップラー効果によるものなら、当時観測可能な銀河のほとんどは我々から後退しているということを最初に発見したのはスライファーで、ハッブルの有名な1929年の論文で、いわゆるハッブルの法則を示したときに使われていた赤方偏移の値は、ほとんどがスライファーによるものです。その際、ハッブルはその出典を示さないという科学の世界でのルール違反さえ犯しています。

スライファーが銀河のスペクトルを撮影しようとしたのは、台長ローウェルの指示によるものでした。当時、渦巻き星雲は太陽系形成の初期段階ではないかとされ、それならば渦巻き星雲の端の方には、木星のような巨大惑星と共通するスペクトルが観測されるかもしれないとローウェル台長は考え、台員のスライファーに課題を与えたのでした。この頃、ローウェルは実業家としても忙しく、天文台を留守にすることが多く、手紙でスライファーに指示を与えています。

スライファーが赤方偏移を発見したのは当初の目的とは異なる成果だったのですが、これをドップラー効果によるものとすると、銀河はとんでもないスピードで運動していることになります。ローウェルとスライーファーは、これは凄い獲物を見つけたかもしれないと、次々と銀河のスペクトルを観測して、赤方偏移を測定していくわけです。当時、リック天文台と競争関係にあったローウェル天文台としては、自分たちの天文台の評価を高めるにはとても好都合な発見で、実際、このときこの分野ではスライファーはこの分野では独走状態にありました。

本書『膨張宇宙の発見』では、ハッブルとその好敵手であったシャプレーに最も多くの頁が割かれていますが、それ以外の登場人物たちも、数多くの資料を駆使して興味深いエピソードをたくさん紹介しています。上記のローウェルとスライファーの手紙のやりとりでは、ローウェル天文台で資料の調査にあたっているときに著者バトゥーシャクが思わず笑ってしまったという彼らの手紙を紹介しています。

ローウェルは、自分の天文台の菜園をことのほか気に入っていて、天文台を離れている時、それが今どうなっているかを気にしており、ある年など、秋の収穫が近づくにつれ、ローウェルは「カボチャのでき具合はどうか?」と尋ねたそうです。翌週、彼の手紙の最後は「カボチャを頼みましたよ」で締めくくられ、最後は「カボチャが実ったら、その一個を速達小包で私に送るように」だったとのことです。スライファーがほっておくと、心配になったローウェルはクリスマスの直後に「なぜカボチャが着かないのか。できれば至急送ってほしい」と電報まで打ち、スライファーは不本意ながら、あわれなカボチャはしなびてだめになってしまったと答えなければならなかったのだそうです。

1900年には、まだ渦巻き星雲の正体は不明で、銀河系の内部の天体なのか銀河系外の天体なのかさえわかっていなかったわけですが、それからわずか30年足らずのうちに、膨張宇宙論が観測的にも理論的にも認められるようになっています。この天文学の大変革の時代は、これまでにも科学読み物として部分的には紹介されていますが、本書『膨張宇宙の発見』ほど、その舞台と登場人物をダイナミックに描いたものはありません。本書の企画・編集担当者としては、ぜひご一読いただければと願っています。

地人書館編集部(永山幸男)