ケプラー疑惑ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録
概要ヨハネス・ケプラーは惑星運動の三法則、いわゆるケプラーの法則の発見によって天文学に大変革をもたらした。古代からの宇宙モデルを無効にし、万有引力の法則の基礎を整え、天文学に物理学を持ち込むきっかけを作ったケプラーは、文字通り歴史に残る偉大な天文学者である。しかし、ケプラーの師となったティコ・ブラーエが存在しなければ、彼の名前は今日、科学書の注釈として載る程度にしかすぎなかったかもしれない。ティコ・ブラーエは、当時ヨーロッパでもっとも著名な天文学者の一人で、はじめて組織的な天文観測を行なった偉大な経験主義科学者であり、科学の近代的手法をうち立てた創始者ともいえる。彼の40年間の惑星観測記録には、ケプラーの歴史的発見の鍵が隠されていた。だが、ケプラーがそれを利用できるようになったのはブラーエの死後である。通説によると、二人の天文学者は17世紀の夜明けに争いながらも共同研究に取り組み、科学を中世から近世へと橋渡しする衝撃的な発見を行なったことになっている。 本書で著者たちは、ティコ・ブラーエの突然の死は自然死ではなく、彼の助手であったケプラーによる毒殺ではなかったかと推論している。ケプラーはティコの40年間にわたる精密な観測データを手に入れたかったが、ティコは生前にはそれを決してケプラーに渡そうとしなかった。自らの理論の証明にどうしてもティコのデータが必要だったケプラーは、再三彼のデータを自分の手元に置こうと企てたがかなわず、ついに毒殺を決行したのではないかというのが本書の主要な話題である。 本書の前半では、中心的登場人物であるティコとケプラーの生い立ちや性格、当時の社会情勢、彼らの科学者としての立場や人間関係等が詳細に述べられている。これらのほとんどは、ケプラーやティコと周囲の人々の書簡や著作からの引用によって綿密に構成されており、科学史的読み物となっている。しかし、それは単なる史実の記録ではなく、本書の後半で、殺人を行なう機会や動機などを論じるための巧妙な伏線ともなっている。 実際の毒殺シーンそのものは、何も証拠がないことを理由に何一つ述べられていない。著者はあくまでも史実を重視している。述べられているのは、ティコが病床にふせってから死までの状況(葬儀での挨拶や関係者の談話などの形で記録が残っている)、および、最新のPIXE(粒子線励起X線分析)技術によるティコ・ブラーエの毛髪の科学的分析のみである。そこから考えられそうないくつかのシナリオを提示し、それらの妥当性を論じ、整合性のない推測を排除して結論を導いている。 ケプラーの伝記的読み物としては、たとえばケストラーの『ヨハネス・ケプラー――近代宇宙観の夜明け』(小尾信弥・木村博訳、河出書房、1977年)が知られているが、そこで、ケストラーは、ティコは粗暴で傲慢、ケプラーは暗いけれど純真という風に描いている。しかし、本書ではケプラーを陰湿に、ティコを磊落に描き、かなりティコに好意的な性格描写となっている。ティコの葬儀のあとの相続にまつわるごたごたについても、引用される史実は同じであるが、ケストラーの本では、ティコの観測記録の科学的価値をまったく理解しない相続人から、ケプラーが大事なデータを守ったとしているが、本書では、ケプラーがデータを盗んだとしており、ケプラー自身もそれを認める記述を残しているとしている。 これまでの科学史では、ティコ・ブラーエの観測の意義が不当に低く評価されている面がある。観測精度を当時の技術による限界にまで高めるという近代科学的手法は、このティコ・ブラーエの天体観測が歴史上最初のもので、彼の独自の「宇宙体系」は地球中心説(地球の周りを月と太陽が公転し、他の惑星は太陽を中心として公転している)であるが、これは年周視差が観測できないことによる必然的結果で、なかば観念的に太陽中心説を唱えたコペルニクス、ガリレオとは一線を画している。本書は、ティコが毒殺されたというショッキングなテーマを中心に据えてはいるが、ティコ・ブラーエの業績を再評価するという観点から見ても、興味深い読み物となっている。 著者著者のジョシュア・ギルダー(Joshua Gilder)は Ghost Image(Simon & Schuster, 2002)などの作品で知られる作家。1954年、ワシントンDCの生まれ。サラ・ローレンス・カレッジでの専攻は記号論理学で、北アメリカ北西海岸の先住民クワキウトゥル族の儀式であるポトラッチの研究でB.A.を取得。その後、雑誌のライターとなり、ホワイトハウスでレーガン大統領のスピーチライターを務め、ジョージ H.W.ブッシュ大統領のもとでは国務次官補(人権問題担当)を務めた。夫人のアン-リー・ギルダー(Anne-Lee Guilder)もジャーナリストとして知られている。二人は本書を執筆するにあたって資料収集と調査のためにヨーロッパをまわり、多くの専門家にインタビューをして独自の考察を行なった。目次目次 序 章 科学革命に隠れた殺人 第1章 葬送 第2章 ケプラーの惨めな生い立ち 第3章 チュービンゲン大学からの放逐 第4章 ティコの天体観測 第5章 錬金術 第6章 爆発する星 第7章 ティコ・ブラーエの島 第8章 ティコの宇宙体系 第9章 国外追放 第10章 『宇宙の神秘』 第11章 ケプラーの結婚 第12章 ウルサス事件と不吉な出会い 第13章 宮廷数学官 第14章 スティリアでのプロテスタント弾圧 第15章 プラハで対立する 第16章 ケプラーの裏切り 第17章 ティコとルドルフ帝 第18章 メストリンは沈黙する 第19章 はかりごと 第20章 ティコの死 第21章 墓穴のなか 第22章 症状は語る 第23章 最期の13時間 第24章 ティコの錬金薬 第25章 犯行の動機と手段 第26章 盗み 第27章 ケプラーの三法則 エピローグ 原著Heavenly Intrigue: Johannes Kepler, Tycho Brahe, and the murder behind one of history's greatest scientific discovery (Doubleday, 2004) |